すぷんく!

「あー、中学のとき仲良かった子に似てるー!」

貴方と共有していない14歳に、どうして私が巻き込まれなくてはならないのか、

と思ってしまう程度には、人間である。

駅の階段で、パンプスのヒールだけを落として上に行く女のような器用さは、私にはない。

5cmの日はいつでも5cm、

7cmの日はいつでも7cmの視界。

とっても昔に好きだった小説、

すぷんく!を探しに行く小説。

本棚の隅で丸まって大人しくしてる背表紙に

久しぶりに触れたいと思った、

好きなものは何でも遠くに行ってしまうから、

また好きなものを新たに探し続けるけれど、

遠くに行ってしまうものたちを

ずっと好きでいたい。

そんな感じのきょう。

いろいろいろいろ。

にめーとるもないかべのさき、まったくしらないへやのじんせいに、いっしょうかかわることはなくて、そんなことのくりかえしだ。

誰にも邪魔されずに、文字の羅列にだけ触れていると、ぽっかりとした穴が少しだけ満たされていく。

きょうはずうっとひとりでいたい。

沢山の人と接すると、いろんないろで溢れかえりそうになる。

共感覚なんて難しいことは分からないけど、昔から好きな人と嫌いな人の色が見える。あんまり関わらなくて、距離を保ってる人の色は見えない。

深緑色の男の人と、青系統の女の人が好きで、

黄土色の男の人と、オレンジ色の女の人が苦手。

けれど、私の知り合いでこれを読んでる稀有な人がいても、私はあなたに色を伝えられないと思う。そんな気がする。

自分のことなのに、自分でも分からない自分のこと。

ずうっとわからなくていい。

格好良い表現技法より、

正しく言葉を使うことのほうが、

よっぽど難しい。

伝えたいことよりも、

伝えたい気持ちのほうが、

大きく膨れ上がって持て余してしまう。

毎日、理性と感情と本能と煩悩がごちゃまぜになった、いろいろのいろが浮かんだり消えたり。

なにかをみたようなきになって、

なんにもみていなかったり、

さみしくなったり、

せつなくなったり、する。

ロロロロロ。

新宿駅東口16時半の話。

黒のブックカバーで文庫を読みながら、待ち合わせの相手を待っていた。久しぶりの小説だった。

小説を読む時間は、無になる。誰にも邪魔されたくなくて、頁を繰るその一秒も愛おしい時間。中高生の時分、授業合間の僅かな時間も文庫を読み耽っていた、あの感覚が戻ってくる。

沢山の人がiPhoneを見つめ、佇む新宿駅の中で見渡す限り、文庫を手にしていたのは、私だけだった。待ち合わせの相手への信頼がないと出来ない行為。一人でゆっくり読むよりもそれは特別な意味があった、のかもしれない。だからこそ小説がより面白く感じた、のかもしれない。

新宿駅東口18時の日は、iPhoneを見つめることすらできなかった。抑持っていなかった。それでも待ち合わせは成立した。暇を潰すのでもなく、只相手を待つ、空虚な時間。待ち合わせの孤独を感じると同時に、iPhone無しに成立する待ち合わせの不可思議を思った。

新宿駅東口で相手を待っている人人はどれだけの時間を待ち合わせに費やしてきたんだろう。時間の使い途は個人に委ねられているというのに、大半の人は小さな液晶ディスプレイを見つめ、緑の無料会話アプリに熱心になるのだから滑稽だ。

相手を信頼できるのならいつもと違う待ち時間も悪くない。

新宿駅東口16時半の日、相手を待つ時間に見つけたオノマトペ

マンゴーを乱暴に転がした時の音。

ロロロロロ。

さぷさぷ。

寂しさは鳴る。

綿矢りさの小説の冒頭の一文。

慢性淋心炎。

川上未映子がエッセイに綴った一言。

12月になってから毎日この二つの言葉が頭の中をぐるぐるぐるぐる回転してる。

空っぽだから寂しいわけじゃない。

何かがあったから寂しいわけじゃない。

満たされているから寂しい。

満たされているのに寂しいのか、大層な生き物だと思われるだろうけど、哀しいかな人は女は私は何処までも強欲な生き物らしい。

青色発光ダイオードの美しさに寂しくなった。

戸川純大森靖子ばっか聴いてる。

水曜日のドラマで泣いた。

自分の可愛げの無さを助長するだけなのに、たくさんお酒呑んでみたりする。

それだけ今の環境が尊いってこと。

寂しさと幸せが紙一重だとすれば、間にあるのはペラッペラの半紙なんだろう。

気づいたら、こんなに経ってた。

冬。

めっきらもっきらどおんどん。

何かを書きたいときは大体頭ん中がぐるぐるしてる。欲求不満。ブログなんてみんなただの自己顕示欲だからよいのだ。こんなの見てるあなたもそうでしょ。覗いたふりして他人のこと知った気になるだけでしょ。

やらなければいけないことばっか考えてるとクサクサしてくるんで、好きなこと考える。愚痴ばっか言ってると人間歪んじゃうよ。嫌な人とか嫌なことにだって、良いとこ見つけてあげられるくらいしゃくしゃく余裕のある人になりたいよね。

さて。

アリスが好き。鏡の国のアリス不思議の国のアリスじゃない。鏡の中に入り込んでいくほうがいい。兎に角アリスが好き。

アリスが好きな女は簡単に分類できる。如何にも文化系の冴えない女か馬鹿みたいに派手な女。もっと言うと前者はゴスロリっぽいか、オタクっぽい女。後者はただメイド服もどきのワンピースを着た自分に可愛さを見出したい女。

私がどっちに当てはまるのかは他人が決めることだからどうでもいい。

それよりも。

アリスが好きなのは、お姫様も王子様も出てこない話だから。真実の愛とか、王子のキスとか、そんなのは月9でやればいい。ファンタジーに恋愛を持ち込むと途端に現実臭くなる気がしてる。

アリスが好きなのは、原作の挿絵が不気味だから。黒くて、陰鬱で、淀んだ感じ。メルヘン要素が少しもないあの絵を見るとぐわんとして、惚れ惚れする。

アリスが好きなのは、女の子が簡単に「可愛い」を身に纏えちゃう鎧みたいなキャラクターだから。アリス関連のものを身につけただけで、例えばあの水色のワンピースを着ただけで「可愛い」を入手してるように見えるから。誰もがアリスになれるってことは、ポップでメルヘンなアリスが如何に空虚で寂しいものかってことを誇張してるだけなのにね。でもそういうとこもいい。

うん。全然足りないけどちょっと落ち着いた。

私が何かを好きになるときは理由がいっぱいあって、だから好きなものは小さい頃から変わらない。裏を返せば頑固。何にでも一途なとこは紙一重の長所な短所。

好きなことをがーって綴ると色々がふっとんでくね。やっぱ「好き」って偉大だ。

11月になったら、水曜日のアリス行こっと。

きゅるきゅる。

一人でライブに行ってきた。

ライブには一人でしか行ったことがない。

鶯谷の猥雑な空気は妙に嫌いじゃなかった。

東京らしい、と思った。

新宿で慣れたからか。

増田ぴろよさんが施した会場装飾はとても美しくて猥褻でピンクで女だった。

いい感じのゲリラ豪雨

月経周期 基礎体温

全部知ってる大きな愛を

今日は誰にも邪魔させないのだ

「あまい」から始まったセトリに泣いた。

メンヘラと言われるならそれでもいい。

本当に好きな人にそう思われるなら、或いは思われないなら、別にそれでいい。私を知らない人と嫌いな人はどうでもいい。てかメンヘラの定義ってなんなんですかね。まあいいや。

ライブには一人でしか行ったことがない。

今まで行ったライブは爆音で只管爆音で叫んでばっかだった。皆がロック好きそうなタイプで軽くヘドバンみたいな。

でも今回は違った。

非処女って刺繍したカバン持ってる二つ結びの低身長の女の子とか、ニット目深に被ったガタイのいい男の人とか、開場前になんかの戯曲読み耽ってる女の人とか。大森靖子さんの言葉に、歌に、胸を打たれた色んな人たちが、たくさんいた。

オタクとか、メンヘラとか、簡単に片付けるならそれでも構わないけど、そういう面白さを知らぬまま片付ける人は勿体無い。そう思う。

でも私はmiwaのライブに行くタイプの男も女も嫌い。だからおあいこね。明るくて優しい言葉だけのキラキラしたものって怖い。それだけに身を委ねる不安っていうか。ほんとは委ねられるタイプの人たちの無垢さが少しだけ羨ましいんだろう。

大森さんの歌は全て、東京みたいな何でもあって何にもない都市に出てきてしまった女に響くような気がしてる。私だけかな。

ラブホテルばっかの鶯谷

生きてるって実感できちゃうようなエロいことをしよう

って叫んだら、歌詞が沁みた。

大森靖子って知らんけどエロいことばっか歌ってんのって思ったならググればいい。「ググって出てくるとこならどこへだって行ける」しそうやって「ライブに来ないでYouTubeさんからあの子の端っこかじって知ったかぶり」すればいい。

全身でぶつかってくる

大森さんの言葉が、音楽が、好きだ。

東京は初体験の連続の街。

東京に出て来なかったら大森さんの詩は分からなかったんだろうな。

いい大学とか気にせずに君のこと好きだし、

いつかざまあみろって言いたいし、

汚れてもいいから、

無限初体験してたい。

そんなことを思う今日この頃。

ゆやゆよん。

あざとさの定義ってなんなんだろ。

男の人に媚びること?

自虐することで可愛いと言わせること?

自撮り写真をSNSに投稿すること?

多分、どれも正解でどれも間違い。

要は同姓に嫌われたら「あざとい」認定なんだろな。

さて、ここからは全く私の個人的な話。

男の子みたいな小学生時代でした。

凄く短い髪。

ボーイッシュな服装。

運動会はサッカー少年特有の脹脛を隠す靴下履いて、鉢巻して応援団で旗振り。

スキーウェアもピンクや水色なんて以ての外で、赤、黒、白。

普段から所謂小学生女児みたいなパステルカラーの服は着なかった。

夏休みには黒マニキュアにタトゥーなんか入れたりしてたし、真っ黒に日焼けしてた。

ごく稀に、ルーズソックスや厚底スニーカーを履くくらいが私の「可愛い」だった。

そういう少女時代を過ごしてきたから、「可愛い」の代名詞、ピンクに出会うのはとても遅かった。

今でも本当はピンクというのは特別な色で、身につけるには恥ずかしくて少し勇気がいる。大学では素知らぬ顔でピンクを身につけているけれど。

ピンクに出会ったのが遅かったから、

「可愛い」服を着るのが遅かったから、

不器用な自分に「あざとい」なんて出来るわけないのに、たまにすっごく「あざとい」をしてみたくなる、そんな衝動がある。

女子という公称が通用するのは大学生までだし

嫌われない程度、出来る限りの「あざとい」と

たまに馬鹿みたいな「可愛い」をして

女子大生を死にたい。