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無題。

そんなヤツ、死ねばいいのに。

この一言に救われてしまった日のことを

敢えて記録として残しておきたい。

人には絶対に触れられたくない部分がある。

私の場合は顔。

人はあまり目立たないと言うけれど、

自分にははっきりと浮き立って見える、

一生消えない古傷がある。

大量出血で意識が朦朧とする中救急車で運ばれ、

失明していたかもしれなかった、

そんな事故でできた傷。

未だに

後ろから話しかけられることに異常な恐怖を感じたり、

救急車のサイレンを聞くと胃が縮まる思いをする。

似たような経験や感性の持ち主ならば、

もう年月が経ったから、では解消されないものがあることを知っている筈だ。

つい最近、社内にて初対面の人に

「え、顔に傷あるんだね?その傷どうしたの?ねえどうしたの?」と何度も何度も繰り返ししつこく聞かれた。

嫌いだと感じた人に対してこそ、

曖昧な態度でしか応じられない私は

「小さい頃に色々と…」と

引きつった表情と掠れた声で濁すのが精一杯だった。

そうやって、出会って30分足らずの人に、

顔と心の傷跡を同時に抉られた。

その日は帰宅するのがやっとの思いで、

夜も寝つけなかった。

ドラマのワンシーンのように昼間の光景が蘇り、

気持ちが沈んだ。

翌日からも無理矢理に出勤し、やっとの休日、

信頼のおける人に電話をかけた。

頻繁に近況報告をし合う仲、

出来る限り平静を装って、普段通りのトーンで報告した。

暫く間をおいて

今までに聞いたことのない冷たい声で

電話口から冒頭の一言が聞こえた。

私の中で、じんわりと、

でも確かに何かが崩れていく音がした。

相手に気づかれないように目頭をおさえながら、

救われている自分に気づいていた。

かわいそうだね、辛かったね、というような

共感ではなかったから、

100%の当事者意識の元に放たれた一言だったから、

救われてしまったのだろう。

人には絶対に触れられたくない部分がある。

ずかずかと侵入されるくらいならば、

悪意を持って、笑われたり、蔑まれるほうがましだ。

一番恐ろしいのは、無邪気とも言うべき悪気の無さだ。

本来、救われてはならない一言に救われてしまった日を

忘れられない「思い出」として敢えてここに記す。