憂・優・愛
好きなひとに気持ちを伝えるとき、
なんて言いますか。
なんて言われたら嬉しいですか。
その言葉が三者三様であるように、
愛し方も三者三様なはず。
精神か肉体かの二元論で、人間を取りこぼすことなく区分できているのかは分からないけどまあ区分できているとして。
こころもからだも欲しいのか、
こころが欲しいのか、
からだが欲しいのか、
なにもいらないのか。
そのどれもを否定する権利は誰にもないと思うんです。
例えその関係に利害や金銭が発生していたとしても、
結局は当人の気持ちがすべてだから。
愛は暴力だと、わたしの尊敬するひとは言いました。
叶う保証はどこにもないこころを相手にぶつけるところから始まるそれは、もう一方の相手からするとただの暴力に過ぎない。
「愛されたい、
でもそんな風に愛されたいわけじゃない。」
神に救いを求めました。
神は天から降りてきて救いを求めた少女以外の人間を皆殺しにしました。
両親以外に無条件に愛してよいひとなんていなくて
愛してもよい対象に段々なっていくものかもしれない。
みんな最初から最後まで他人だから。
誰かのこころを否定する権利は誰にもないけれど、
愛は暴力だってことも忘れないでいたい。