わたしについて。
気まぐれに筆を取るこのブログも開設して数年経つ。今更なタイトル、かもしれないです。
でもいい。
今、書きたい気分だから。
1.わたしの状態
わたしのtwitterをそこそこ見ている人がこれを読んでるならご存知の通り、鬱になりました。なっていました。いや、いまも一時的な躁状態かもしれないです。
笑うことができなくなって、
食べることができなくなって、
眠ることができなくなりました。
正式な診断書も出されました。
仕事のストレスと東京にいることの不安に押しつぶされそうだったのかもしれません。どうしてこうなったのか、じぶんでももうよくわからないのです。
3年の付き合いになる遠距離中の彼に沢山たくさん支えてもらって、どうにか短期間で今は回復状態にありますので、こうして文章も書けるわけです。
彼が近くにいる間は自分が選択した優しい空間にしか身を置きたくなくて、我儘を沢山言いました。
緑いっぱいの公園に行きたい、大好きな大森靖子ちゃんのライブに一緒に行ってほしい、ヨガについてきてほしい
頭痛や眩暈で座り込んだりすることもあり、一人では絶対達成できなかったわたしの我儘をぜんぶ叶えてくれました。
今回の鬱状態はこれまでにないレベルのもので、それこそ「死にたい」と呟いてはふわふわと浮遊しているような毎日でした。
流石に面倒で別れを告げられるだろう、正直そう思ってました。でもそういうことにはならなくて、両親以外に無条件で愛してくれるひとがいることの尊さに泣きました。
2.わたしというひと(一部)
わたしは驕りではなく、「優しい」とよく言われます。「おとなしい」とも言われます。他人からは「良い人」認定を受けやすいです。
要するに自分に自信がないのです。
人との関わり方も不器用で、本当に好きな相手、それもそんなわたしにでも心を開いてくれる相手としか会話が出来ません。
わたしは自分が嫌いです。
23という歳にもなれば、周りは結婚や出産など、キラキラして見える人生の節目についてあれこれ語りたがります。でもわたしは相手のことは兎も角として、こんな自分の遺伝子を残すことが嫌です。怖いのです。
わたしは幸せな家に産まれました。
一人娘としてそれはそれは大切に育てていただきました。人一倍、愛情を注がれて生きてきました。
だから、もしももしも子どもを授かったらやっぱりそんな風に育ててあげたいと思います。両親への感謝を込めて。自分などの遺伝子、と言うけれどそれはわたしを大切に育ててくれた両親から引き継がれたもので、このバトンを引き継ぐことがわたしの恩返しなのかもしれないですし。エゴと言われればそれまでですが。と言って、自分以外の考えに対する逃げ道を用意しまうあたりがわたしの自信の無さです。
自分に自信がないわたしは生きることが大変下手くそです。
鬱状態に陥ってからというもの、精神状態が日によって大変不安定ゆえ、より生きにくいです。
でも死にたい毎日を過ごして、生きたいと思えることがしたいという当たり前の答えにようやくたどり着きつつあります。
3.おねがい
「日頃から温厚で真面目な彼女に、一体何があったのでしょうか。」
ニュースで他人に伝えられてしまう二行の中には、出自も含め何十年の人生があることを、どうか、どうか、想像してください。
4.おわりに
この文章を公開することで、わたしという人間の暗さに嫌気がさす方もいらっしゃるでしょう。
わたしはすべての人間関係において、追いかけることはできないので、貴方が「違うな」とお思いになりましたら、身を引いてください。
次に筆を取るときはまた違った内容でお目にかかれると幸いです。