痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い でも

好きな人が

私の知らない日に

世界からいなくなってしまった。

それでもわたしはいまとうきょうにいる。

そしてこれからもしばらくはとうきょうにいる。

それは辛くて、

とても辛くて、

好きな人の日常に交わらないところで生きている事実を

ぶつけられては消えない痣に泣いている。

大好きな人の喜びにも苦しみにも気づけない自分を呪う。

こころは、Wi-FiでもLTEでも救われなくて、

だからもうすべての遠距離を終わりにしたい。

とんことり。

最近よく、いい子だね、と言われる。

いい子。

近所の人は大抵言う。

「犯罪に手を染めるような子じゃなかったのに、

挨拶するいい子だったのに」

挨拶を交わすくらいの近所付き合いで

相手の何がわかるんだろう。

私は友人だって、恋人だって、そして両親のことだって、

本当はきっと何にも知らない。

誰かに対してはaという存在で 誰かに対してはbという存在で、 そんな風にiくらいまである存在。

誰かにとってのいい子なんて 誰かにとってはほんとは全然いい子じゃない。

私がいい子なんじゃなくて あなたの前ではdという存在なだけ。

本当に好きな人の前では わたし、 ちっともいい子なんかじゃない。

ふりっくりっく。

好きな人以外嫌いで、ううん、興味すらなくて、

興味がないということは、嫌い、の斜め上、

たぶん角度は 嫌い の底面から80度くらい遠い。

少し前まであんなに近かったのに、

もうずっと遠い誰かの

タイムライン。

とりあえず、で繋がって、繋がった途端に

もっと遠くなった。

距離を埋めようとして必死なテクノロジーが生んだ距離。

ほんとの友人は友だちとは呼ばない。

友だちだった人をアンフォローして、ブロックする。

ほんとに会いたい人との距離は少しも埋まらない。

埋まったような気になって、気休めも無いよりましで、

無料アプリに頼って、繋がった、ことにする。

好きか嫌いかじゃない、

好きか興味がないか。

残酷な取捨選択制度の下に液晶画面をスワイプする侘しさを、

噛み締めて噛み締めて、

甘える。

ぐぼぐぼ。

好きなバンドは解散するし、

好きな作家の続編は出ないし、

好きな人は遠くに行くし、

私の好きなものは大抵散り散りになる。

やりきれなくて爆音で聴く背中のジッパーが沁みる。

中村文則を開いて主人公の名前を見て閉じた。

桜の花の狂気が都市の嬌声を造り上げている。

すがる未来に生かされてる。

すぷんく!

「あー、中学のとき仲良かった子に似てるー!」

貴方と共有していない14歳に、どうして私が巻き込まれなくてはならないのか、

と思ってしまう程度には、人間である。

駅の階段で、パンプスのヒールだけを落として上に行く女のような器用さは、私にはない。

5cmの日はいつでも5cm、

7cmの日はいつでも7cmの視界。

とっても昔に好きだった小説、

すぷんく!を探しに行く小説。

本棚の隅で丸まって大人しくしてる背表紙に

久しぶりに触れたいと思った、

好きなものは何でも遠くに行ってしまうから、

また好きなものを新たに探し続けるけれど、

遠くに行ってしまうものたちを

ずっと好きでいたい。

そんな感じのきょう。

いろいろいろいろ。

にめーとるもないかべのさき、まったくしらないへやのじんせいに、いっしょうかかわることはなくて、そんなことのくりかえしだ。

誰にも邪魔されずに、文字の羅列にだけ触れていると、ぽっかりとした穴が少しだけ満たされていく。

きょうはずうっとひとりでいたい。

沢山の人と接すると、いろんないろで溢れかえりそうになる。

共感覚なんて難しいことは分からないけど、昔から好きな人と嫌いな人の色が見える。あんまり関わらなくて、距離を保ってる人の色は見えない。

深緑色の男の人と、青系統の女の人が好きで、

黄土色の男の人と、オレンジ色の女の人が苦手。

けれど、私の知り合いでこれを読んでる稀有な人がいても、私はあなたに色を伝えられないと思う。そんな気がする。

自分のことなのに、自分でも分からない自分のこと。

ずうっとわからなくていい。

格好良い表現技法より、

正しく言葉を使うことのほうが、

よっぽど難しい。

伝えたいことよりも、

伝えたい気持ちのほうが、

大きく膨れ上がって持て余してしまう。

毎日、理性と感情と本能と煩悩がごちゃまぜになった、いろいろのいろが浮かんだり消えたり。

なにかをみたようなきになって、

なんにもみていなかったり、

さみしくなったり、

せつなくなったり、する。

ロロロロロ。

新宿駅東口16時半の話。

黒のブックカバーで文庫を読みながら、待ち合わせの相手を待っていた。久しぶりの小説だった。

小説を読む時間は、無になる。誰にも邪魔されたくなくて、頁を繰るその一秒も愛おしい時間。中高生の時分、授業合間の僅かな時間も文庫を読み耽っていた、あの感覚が戻ってくる。

沢山の人がiPhoneを見つめ、佇む新宿駅の中で見渡す限り、文庫を手にしていたのは、私だけだった。待ち合わせの相手への信頼がないと出来ない行為。一人でゆっくり読むよりもそれは特別な意味があった、のかもしれない。だからこそ小説がより面白く感じた、のかもしれない。

新宿駅東口18時の日は、iPhoneを見つめることすらできなかった。抑持っていなかった。それでも待ち合わせは成立した。暇を潰すのでもなく、只相手を待つ、空虚な時間。待ち合わせの孤独を感じると同時に、iPhone無しに成立する待ち合わせの不可思議を思った。

新宿駅東口で相手を待っている人人はどれだけの時間を待ち合わせに費やしてきたんだろう。時間の使い途は個人に委ねられているというのに、大半の人は小さな液晶ディスプレイを見つめ、緑の無料会話アプリに熱心になるのだから滑稽だ。

相手を信頼できるのならいつもと違う待ち時間も悪くない。

新宿駅東口16時半の日、相手を待つ時間に見つけたオノマトペ

マンゴーを乱暴に転がした時の音。

ロロロロロ。