轟々。

「ものをごうごうと音が聞こえるようなスピードで食べるような男の人が苦手だ」

吉本ばななさんの小説に出てくる女の子は、

男の人の 食べ方 が苦手だった。

男の人特有の筋肉のつき方とか、

ごつごつと骨ばった手、低い声、それらとのギャップになるスイーツ好きや料理好きには好感を抱く女の子が多いというのに、「男性的」な男性はあまり好かれない時代だと思う。

派手にめかしこんでみたり、ハイヒールに花柄スカートで中身のない会話ばかりしたがる「女性的」な女性があまり好まれないことも然り。

黒か白かはっきりさせる時代ではなく、

グレーの濃度を調整するような生き方や考え方が

浸透しているような、そんな感じがする。

「君は男の人が苦手なんだ?そっか、でもね、大丈夫だよ。

男とか女とかちゃんと飛び越えてきてくれる人がきっといるよ。」

恋をしてみたいものの、男の人が苦手故に

恋人ができないという女の子に対して、

大森靖子さんが言った言葉。

すとんと落ちた。

恋愛恋愛というけれど、

男性女性というけれど、

それらすべてを飛び越えてくる人はいる。

黒でも白でもグレーでもない、ピンクの世界。

相変わらず体調は悪いけれど、

雨の日は誰もが平等に機嫌が悪くてなんだか

妙に落ち着く。

無題。

そんなヤツ、死ねばいいのに。

この一言に救われてしまった日のことを

敢えて記録として残しておきたい。

人には絶対に触れられたくない部分がある。

私の場合は顔。

人はあまり目立たないと言うけれど、

自分にははっきりと浮き立って見える、

一生消えない古傷がある。

大量出血で意識が朦朧とする中救急車で運ばれ、

失明していたかもしれなかった、

そんな事故でできた傷。

未だに

後ろから話しかけられることに異常な恐怖を感じたり、

救急車のサイレンを聞くと胃が縮まる思いをする。

似たような経験や感性の持ち主ならば、

もう年月が経ったから、では解消されないものがあることを知っている筈だ。

つい最近、社内にて初対面の人に

「え、顔に傷あるんだね?その傷どうしたの?ねえどうしたの?」と何度も何度も繰り返ししつこく聞かれた。

嫌いだと感じた人に対してこそ、

曖昧な態度でしか応じられない私は

「小さい頃に色々と…」と

引きつった表情と掠れた声で濁すのが精一杯だった。

そうやって、出会って30分足らずの人に、

顔と心の傷跡を同時に抉られた。

その日は帰宅するのがやっとの思いで、

夜も寝つけなかった。

ドラマのワンシーンのように昼間の光景が蘇り、

気持ちが沈んだ。

翌日からも無理矢理に出勤し、やっとの休日、

信頼のおける人に電話をかけた。

頻繁に近況報告をし合う仲、

出来る限り平静を装って、普段通りのトーンで報告した。

暫く間をおいて

今までに聞いたことのない冷たい声で

電話口から冒頭の一言が聞こえた。

私の中で、じんわりと、

でも確かに何かが崩れていく音がした。

相手に気づかれないように目頭をおさえながら、

救われている自分に気づいていた。

かわいそうだね、辛かったね、というような

共感ではなかったから、

100%の当事者意識の元に放たれた一言だったから、

救われてしまったのだろう。

人には絶対に触れられたくない部分がある。

ずかずかと侵入されるくらいならば、

悪意を持って、笑われたり、蔑まれるほうがましだ。

一番恐ろしいのは、無邪気とも言うべき悪気の無さだ。

本来、救われてはならない一言に救われてしまった日を

忘れられない「思い出」として敢えてここに記す。

わたしいがいわたしじゃないの。

小説、ドラマ、演劇。
フィクションが死ぬほど好きです。

それらを作る才のある人も好きです。
というよりなりたかったんです、本当は。

けれどここ最近、見えてきました。

「本当に好きだから、好きだからこそ、仕事にしたくない」の意味が。

時として、
掴んでしまうと壊れてしまうかもしれない夢を叶えるよりも、手を伸ばせば届く美味しいカレーが存在していてくれるほうが、しあわせに生きられるのかもしれない。

そんな風に思うこの頃です。

決して悲観的なわけではありません。
何かを諦めたわけでもありません。

むしろ、美味しいカレーの有り難みというか、
そういうものが作り出してくれていたしあわせに
気づくことができるようになりました。

いろいろが現実味を帯びると
風景も少しずつ変わるものですね。

最近、じぶんにとってのしあわせを
よく考えるようになりました。

2016年、24になります年女。

コロコロ変わるこのブログの文体のように
気紛れに、可愛く、我儘に生きます。

わたし!わたしだよ!

第一声がなんとか詐欺みたいなその電話がきたのは12月のはじめだった。

無論誰かは分からなくて、怖くて、何故見知らぬ番号に出てしまったのかと自分を呪った1分間。

「どちらさまでしょうか」
「わたし!」の応酬。

一本調子なわたし(筆者)に折れたとみえて、
彼女が名乗った。
小学生の頃のクラスメイトだった。

相手が分かった途端、
受話器からの声はとても愛おしくて、
泣きそうになった。

小学生の時分から
発達障害を抱えていた彼女の会話は
昔からあちこちに飛んでいくのだけれど
彼女の個性である
そのすべてを愛おしいと思った。

地元で生まれ、生き、産む、
そんな地方特有の習慣が根強い地域から、
同級生が多くいる土地から、
地元を離れたわたしに、
彼女が連絡をくれた。
なによりもそのことが嬉しかった。

身の回りの物を整頓することが苦手だった彼女が、
はるか遠い日に手渡した携帯の電話番号を探し、見つけ、
連絡するまで、どれだけの時間がかかったんだろうか。

遠く離れた場所でも自分を想ってくれる人がいる。
心から愛おしくて、
優しい気持ちにさせてくれる相手がいる。

笑っちゃうくらいにクサイけど、
わたしは自分のことを考えるのが得意じゃないから
そのことだけが、
生きる原動力。

ずっと早く卒業したくて、生きてきたの

大好きな金曜の夜から遠い一日が
始まろうとしてる。

永遠に満たされない変身願望を引きずって、
精神なんていつだって不安定。

「卒業」を待てなくなったいまは
「いつか」を待ってる。

ずっとなにかを待ち続けてしまうのは、
結局自分からどこかへ向かう勇気のない臆病さと、
待っている、という事実をも飲み込んでくれる日常のせいなんだろうか。 

そんなことを考えて、
なにかを考えたような気になって、待っている。

ひとり。

わるい子になりたいよ いい子にしてるから

薬を飲んで、効いてきた瞬間、

どこまでもイケそうな気がするし、

どこにも行けない自分に安心しているベッドの上。

死ぬまでに痛み止めをあといくつ

飲むんだろうか。

痛みを麻痺させて鎮められる生きやすい世の中で

二粒で簡単に抑制される身体を使って

眠って起きて食べている。

「死にたい」と言うと本気で心配されるし、

ほんとうに死に向かう行動をしてしまいそうな

危うさがあるとも言われる。(ごめんね)

薬を飲むと眠たくなるし、

なんだかすべてどうでもよくなるし、

いやなことぜんぶ

内臓色の、でもラメ入りのピンクに

塗りつぶしてばらばらにして

スノードームみたいにふわぁってさせて

一頻り鑑賞したあと、

捨てたい。

生生生生生。

初めて人骨を見たのは6歳の3月だった。

まだ春には程遠い北の3月。

時折思い出したように暖かくなり

路肩の雪融け水が側溝を汚し始める季節。

初めての春休み。

外はよく晴れていたというのに

あの日は一日中家にいたのだったか、

おやつに出された蜜柑に歓声をあげた昼下がりのこと。

ざっくりと9つほどに切られた蜜柑の香りは甘酸っぱく、

汁が顎に滴り落ちるのも厭わずに頬張っていた。

間の抜けた固定電話の着信音が悲しい報せを持ってきたのは、そんな平穏な午後だった。

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「人の死」、を怖れ続けてきた。

焼かれたばかりの人の骨は

哀しいくらいにあたたかくて、

悲しむ周りの空気とは似つかわしくないくらい、

優しいあたたかさを持っているのだということを知った

6歳のあの日からずっと。

とりわけ

生まれて初めて愛してくれた人であり、愛した人(両親)を

いつかは失うことの怖れは20を越えてからというもの、

より現実味を帯び、ずんずんと迫ってくるようになった。

皮肉なもので、自分の死は怖くない。

交通事故で意識を失い、「死」に直面したこともあるというのに、「遺す者」と「遺される者」という位置の逆転が起こると、妙に腹が据わった。

画して、人間とは傲慢な生き物だ。

「遺す者」よりも「遺される者」の痛みが大きいことを

本能的にわかっている。

けれど、自分が「遺す者」となる一度の死に比べて

「遺される者」となる経験は歳を重ねるほど増える。

恋愛、そして一般的にその先にあるものとされる結婚を、

"血縁者以外の特定の人から愛され、家族になり、子を産む"

ことと定義するならば、

「遺される者」としての死を怖れる対象は

必然的に増えていく。

まるで「遺される者」として生きる試練を、

生まれながらにして与えられているようだ。

神様は人間に酸いも甘いもお与えになる。

人はいつか死ぬ。

知人の知人が亡くなったかもしれない今日、

私がつゆ知らず良いことがあったと喜ぶ世界は、

明日も自分にとっての都合の良いように、

自分が愛する対象が中心に廻っていく。

それはもう仕方のないこと。

誰しもが東京は疎か、

同じ地区に生きている人すら愛すことはできない。

人生の中で愛すことのできる対象は限られている。

それならば、

それならば、

せめて、

自分が愛する人と

「死」までの毎日を

少しでも同じ時間を感じながら

生きていきたい。

いつ何時、「遺される者」となり、また「遺す者」になるか

わからない毎日を、そんな風に生きていきたい。

「死」は日常に融け込んでいくもので、

「遺される者」は「遺す者」のすべてを

永遠に留めておけない。

だからこそ、

だからこそ、

少しでも多くの時間を過ごしたい。

それが人にできる

「死」を迎え入れる唯一の術なのだという

希望的観測の下に。